半藤一利さんについて

先日、歴史家の半藤一利さんがお亡くなりになりました。

私も、歴史学科卒業の身として少なからず半藤さんの著作は愛読しておりましたので、淋しい思いを持っております。

私は、半藤さんの作品にしっかり触れたのはかなり遅く、先に司馬遼太郎さんや城山三郎さんの作品を楽しく読んでからのことでした。

広田弘毅について書いた城山三郎さんの「落日燃ゆ」を感動して読み終えたころに、半藤さんが加藤陽子さんとの対談形式で出された「昭和史裁判」を読み、衝撃を覚えた記憶が今でも新しくあります。

「落日燃ゆ」で評判が高まった広田弘毅を歴史的事実から評価しなおす。敢えてゲーム形式で、半藤さんが検察側、加藤さんが弁護側という立ち位置で、広田弘毅以外にも、近衛文麿、松岡洋右などの、ある種、一般的には「善悪」のイメージがついてしまっている「戦犯」人物について、丁寧に掘り返す。

お二人のユーモラスな会話もあって一気に読み進めてしまうほどに惹きつけられた作品でした。とにかく面白かったです。

半藤さんの歴史探偵という肩書を知り、歴史と探偵ものが好きな自分はきっと半藤さんの作品も好きだろうと直感し、その後は、半藤さんの代表作を中心に読み進めていました。「昭和史」や「山本五十六」などは評判通りの名作だと感じます。

半藤さんを始め、歴史家に属する方たちの、「定説に疑問を持つ」「実証的に徹底的に検証する」というアプローチは、教育業に携わる身として、やはり非常に学びが多いと感じています。

「勉強」が「テスト」を指すにせよ「研究」を指すにせよ、いずれにせよ現代?では覚えることがあまりに多くあります。「知識量ではなく思考力だ」、とよく言われますが、知識量を欠いた思考力が危険なのは戦前の歴史を見るにも明らかです。知識量はとにかく求められます。

その中で、定説を疑う、というのは、インプットする知識一つ一つを立ち止まって考えるということを指し、それはインプット効率という観点ではかなり悪化します。

必要なインプットを止めず、さりとてその傍らで定説を疑う好奇心や思考力を錬磨していく。

非常に難しい、曲芸のような習慣の先にある歴史家という職業に、改めて脱帽と敬意を表します。

半藤さんや加藤さんの作品では、しかしながらその「曲芸」が、「楽しみ」として描かれる、わくわくしているのが伝わってくる、そんな素晴らしさがあります。

子どもたちには、尽きない好奇心を持ち、アクションし続ける思考力や行動力を培っていって欲しいと心から願っていますので、人生のどこかで(願わくば私のように遅くない時期に)半藤さん達の作品を手に取ってその情熱に触れてみて欲しいと思っています。

半藤さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

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